第1日目 今熊神社-刈寄山-市道山-連行山-浅間峠-上川乗

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行程

地名到達時刻所要時間
今熊山登山口バス停06時29分
今熊神社06時49分20分20分
今熊山07時24分35分35分
刈寄山08時45分81分1時間21分
市道山11時25分160分2時間40分
醍醐丸12時50分85分1時間25分
連行山14時00分70分1時間10分
生藤山14時54分54分54分
浅間峠16時16分82分1時間22分
上川乗バス停17時04分48分48分
一日の歩行時間
10時間35分
日付:2011/04/01

山行記

今熊神社と今熊山

4月とは言え八王子の郊外の早朝はまだ寒く氷点下でした。
それでも今熊神社の手前にある梅の木は満開で、春が近いことを感じさせてくれます。

今熊神社は意外に大きな社殿を持ち、地元の人に大切にされていることが分かります。
奥の院が今熊山の山頂にあります。

神社の右手に参道があり、崩れた様な石段が途中まであります。坂は急で歩き始めには少し堪えます。山頂の手前で尾根の上に出るのですが、ここから秋川丘陵を一望できます。基本が低かったので空気が澄み都心まで見渡すことが出来ました。

山頂には今風のコンクリートで出来た社があります。特に風情はありません。
興味あるのは氏子と思われる人たちが献納(?)した石碑です。古いものは風化して文字が読めないのですが、縦横斜めに割れた石を修復した跡があり、ひょっとすると割れたのは関東大震災ではないかと思います。そうするとこの石碑は大正、明治、あるいは江戸時代に建立されたものかも知れません。
また、東日本大震災で崩れたと思われる石碑が多数あり、天災の被害の大きさや範囲をしるよすがになります。

刈寄山

今熊山から刈寄山までは細い道が尾根の上に付けられていますが、良く整備されていて歩く安いです。道から少し離れた稜線の上に川口と彫られた墓石があり、川口兵庫之助の所縁の一族の墓所とも思えます。

刈寄山の標高は684m、高尾山よりも80mあまり高い山です。立派な標木が東京との手によって建てられています。北面は杉の林で覆われていて、眺望は東面から南にかけて得られます。

市道山

刈寄山から入山峠の盆堀林道の舗装道路を横切り、市道山に登ります。狭い稜線の上の道で、杉の木が植えられていると気になりませんが、もし裸の尾根だったらヤセ尾根とか呼ばれて、強風の時など転落の危険が心配されそうです。

市道山の手前に、山と高原の地図「奥多摩」には乗っていない弾左衛門の峰というのがあり、この峰に登って稜線を歩く道と、中腹を巻く道の二筋があります。弾左衛門の峰の登りというのが急です。峰の頂には何もなく、送電のための鉄塔が建っていて、電線が風でうなる音が不気味でした。

市道山の山腹は、東南面の樹木が切られていて、その方角だけ眺望があります。
上りの坂道は急で長く顎が出そうです。

醍醐丸への道

市道山から醍醐丸までの道は、地図では釣尾根と書かれているのですが、さすがに大げさでしょう。釣尾根と言えば前穂高岳や鹿島槍ヶ岳が有名です。規模が違います。
それでもこの道は気持ちの良い道で、鞍部に降ってから登ります。

今熊山から醍醐丸までの道は杉林の中を多く通りますが、林業が生きているらしく、あちこちで木が伐採されています。下草も刈られているところがおおくあり、すがすがしさを感じます。ほったらかされた山というのは歩いていると気が滅入ってくるものなのです。

醍醐丸は和田峠から生藤山に掛けての稜線の上の北東の端にあるピークです。
山頂は木に覆われていて眺望がありませんが、葉が落ちている冬の季節だけ、市道山の方角が見晴らせます。

生藤山への道

醍醐丸から連行山に掛けて標高が高くなり、1000mを越える峰があります。
気温も低いらしく、わずかですが雪が見られます。
緑は松や杉などの針葉樹と、足下の笹の葉くらいです。冬の寒々とした風景の中にあります。

浅間峠への道

生藤山の西の三国山は、峰という感じではなく生藤山の肩という感じです。
その更に西には軍茶利山、熊倉山と続いて浅間峠に降ります。

浅間峠へは、大きく降っては少し登る、を繰り返しつつ、標高を下げてゆきます。

上川乗への道

檜原村へ降る道はどれも急勾配で、下りなのでよいですが、この坂を初っぱなに登るのは相当に大変そうです。
浅間峠から上川乗に下ってゆくと、途中に祠があります。祠を過ぎるとすぐに県道に出ます。県道川の登山口から上川乗のバス停までは5分ほどです。

地図

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