地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
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鳥沢駅 | 05時50分 | ||
穴地峠 | 07時52分 | 122分 | 2時間2分 |
高畑山 | 08時23分 | 31分 | 31分 |
雛鶴峠 | 09時33分 | 70分 | 1時間10分 |
棚の入山 | 10時58分 | 85分 | 1時間25分 |
赤鞍ヶ岳 | 11時47分 | 49分 | 49分 |
菜畑山 | 14時01分 | 134分 | 2時間14分 |
今倉山 | 16時09分 | 128分 | 2時間8分 |
二十六夜山 | 17時44分 | 95分 | 1時間35分 |
富士急赤坂駅 | 20時15分 | 151分 | 2時間31分 |
一日の歩行時間 |
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14時間25分 |
日付:2011/05/06 |
5月上旬、里の桜はすでに散っていますが、標高1000mを越える山には、やっと春が訪れたところです。山桜やツツジ、スミレが里に比べて一月遅れで花を咲かせています。
樹木は1000m程までは新緑を見ることが出来ますが、1000mを越えるとまだ開いていません。はじけるくらいに大きな芽は1000mを越えた辺りの樹木で、1200mを越えてくるとまだ芽は固いままでした。
昭和初期まで、甲州街道と秋山村を結んでいた道の一つが穴地峠です。鳥沢駅から2時間ほどで峠に達せられます。
他にも倉岳山を挟んだ東側の鞍部が立野峠として、同様な役割を持っていました。
こうした古道の峠道で現在も歩いて越えることが出来るのは、全国的にも珍しいのでは無いでしょうか。八王子の小仏峠もそうなのですが、首都圏から手軽にハイキングに来られる距離と、手軽さとは裏腹に意外にも深い森林があることで人気が保たれていることが、古道がハイキングの道として残されている理由でしょう。
穴地峠は「人が切り通したのでは?」、と思うほど切れ込みが深い峠らしい地形の峠です。秋山村はそれほど人が多く住んではいないところなので、人が踏み固めて鞍部が深くなったとは考えられないのですが、どこか人の手が加えられている地形に思えてなりません。
穴地峠から高畑山までは、距離は短いですがなかなか急な斜面を登ります。
高畑山は大月市富岳十二景にも選ばれているので、富士山の眺望がすばらしいのだろうと想像するのですが、このときも霞がかっていて近景は見えるものの、となりの山となるともうダメで見えません。
高畑山から雛鶴峠へは一度深い鞍部に下るのですが、この下り道がなかなかの急斜面です。道と言うほどのものではなく、踏み跡といった方が適切でしょう。途中、イノシシのものと思われる獣道が横切っているのが分かります。普通の登山道を歩いて居る時は、獣道などには気がつかないことがほとんどなので、いかにこの下り道が寒々としているかが分かります。
鞍部は狭い稜線の上にあります。樹木が茂っているので印象は薄くなりますが、人一人がやっと通れるほど狭い箇所もあります。逆に、そのおかげで獣道と踏み跡との区別もつきにくい登山道でも道に迷うことはありません。
鞍部を過ぎると再び稜線の上に登るのですが、登ったところの大ダビ山の先の分岐がとてもわかりにくくなっています。標識はなく、道も踏み跡程度なので右に行くのか左に行くのか判断が付きません。
マーキングでも無いかと差がしてみると、赤いビニールテープを木の枝に巻き付けて、テープにマジックで「サイマル山方面」と書かれているのを見つけて、この矢印とは反対の道を採ればよいことが分かりました。
雛鶴峠は、今は県道がトンネルをうがって通っているのですが、その県道に見慣れない施設があります。工場の様でもあり、道の駅の様に一般者を招き入れる施設の様でもあり、印象が複雑で何のための施設か分かりかねていたのですが、戻ってきてから道路地図を見てみるとリニアモーターカーの施設であることが分かりました。工場風に見えたのは作業者のための施設で、道の駅に見えたのは見学者のための施設だったようです。
雛鶴峠からの登り道は、丁度、樹木が伐採されていて、視界が広やかです。周囲を見渡すと山と谷ばかりで、谷筋に道路が通っていることと、山腹に峠越えの道路が見えるくらいが人工物です。
この辺りも道は踏み跡程度ですが、「赤鞍ヶ岳、棚の入山」と書かれた標識がしっかりと立っているので、道には迷わずに済みます。
花については期待をしていなかったのですが、淡い薄紫の色をつけたスミレが満開でした。高尾山でも見かけたことのあるスミレで種類は分からなかったのですが、とても可憐です。
他にもヤマツツジなどが花を咲かせていました。
笹と疎林に覆われているのが棚の入山の分岐です。
地図にはサンショ平と書かれていて、棚の入山はもう少し先にいった所のピークなのですが、山と高原の地図「高尾・陣馬山」のこのエリアは山名その他、現地の表記と違うことが多く、所要時間もまちまちで、実際に使用してみると戸惑うことが多くあります。
棚の入山から鞍部に下ると、ちょっとした崩落箇所があります。普通ならどうと言うことも無いのですが、しばらく本格的な山歩きから離れていると、こうしたちょっとした道にも危険を感じてしまい、目に止まります。
この辺りは丈の低い笹が多く、笹の中にぽつんぽつんと樹木が生えている感じです。
笹の道は、刈り払われていて、これまでの落ち葉の道に比べると、同じ踏み跡程度の道ながら、迷う心配が無いだけ歩きやすくなっています。
赤鞍ヶ岳はのっぺりとしたなだらかなお椀を逆さにした様な頂で、何処が最高点なのか分かりかねます。山頂の標識が立っているので、ここが最高点なのだろうと思います。どうしたわけか、山頂とその周囲には笹が疎らにしか生えていません。
赤鞍ヶ岳から菜畑山までの道は、登っては降る稜線歩きの狭い道で、地図には色々とピークに山の名前がつけられているものの、実際の山には何の名称を示す標識もありません。むしろ、小ピークは無名の方が歩いていてすっきりします。あまりにも細かな名前をつけすぎだと思います。
途中に、地図には描かれていないのですが、下と通じていそうな踏み跡を見かけました。
最鞍部は笹で道が覆われていて見えません。
菜畑山は、山と言うよりも今倉山から東に延びる稜線の一突起です。本来、山とは言い難いのですが、道志谷から見上げた時、稜線の先端の菜畑山が高々と聳えて見えるのでしょう。
道志村の谷道は一度通ったことがあるのですが、深夜だったので山の景観は分かりませんでした。
菜畑山からの眺望はすばらしそうです。
雲が深く垂れ込めて視界を奪ってしまったので、地図からの想像に、山頂に登って見渡した印象を加えると、正面に御正体山がデンと座っているのが圧巻の眺めでは無いでしょうか。
ちょっと遅くなったのですがここで昼食を採り、後半の山歩きに備えます。
眺望が良さそうだと言うことは、風を遮る樹木などがないと言う言うことで、ふきっさらしの山頂では運悪く風が出てきて、これがまた冷たい風でした。幸い、この日はストーブとコッヘルを持ってきていて、食事はリゾットだったので体が温まりました。
この日の最高峰が今倉山です。
標高1470mの山頂は樹木に覆われていて展望はなく、南に降って道坂峠に至る道との分岐点でもあります。
1470mと言うとたいした高さでは無いのですが、歩き出しの鳥沢駅の標高が314m、その後、286mの桂川まで降っているので、正味1193mの標高差があります。日本一高いという富士山でも富士宮登山口の標高は2400mで、3776mの剣ヶ峰まで標高差は1376mしかありません。その差はわずかに183mです。
今倉山から西に進むと、赤岩という小ピークがあります。
なまえの通りに赤い岩で覆われていて、岩のために樹木が無く眺望を得られます。
菜畑山を最後に樹木の中の道で眺望はなく、もうすぐ日も暮れるのであきらめていた時に、ぱっと視界が開けたのは嬉しかったです。
雲は相変わらず垂れ込めていましたが、低い山は雲の下に頂があったので、多少の景観を楽しむことが出来ました。
二十六夜山の手前の鞍部に、地図にはない舗装された立派な道路が通っています。
この林道は名称を菅野盛里線と言い、都留市と盛里を結んでいます。
山歩きをしていてこうした舗装路を横切る時ほど、風情を無くしてしまうことはありません。なぜ標高1000mを越える稜線の鞍部に道路を通さなければならないのか、余計なお世話なのですが考えてしまいます。
二十六夜山は、その名称の美しさから時間的に厳しいにところを無理にルートに入れたのですが、山そのものはたいしたことはありません。
山頂の掲示板によると、なまえの由来は、江戸時代、旧暦の正月と七月の二十六日の夜に、里の人々が山に寄り合い月の出を待ちながら宴を催したことにちなんでいるそうです。
1297mの山頂まで登って来て宴をひいたのか、それとも山麓で催したのか掲示板の説明文では分かりませんが、頂はとても狭く大人数の宴を開くことは無理なので、山麓だったろうと思います。
昔の人の山のなまえのつけかたというのはざっとしたもので、笠だの槍だの笊だのが有名ですが、そうしたことから考えると二十六夜山というのは比較的最近に名付けられたのでは無いでしょうか。そうなると月待ちの宴の故実というのが本当にあったのか、あったとして今の二十六夜山を指して行われたのか、ちょっと考証してみると面白いかも知れません。
山頂には古風な廿六夜と書かれた石碑が建っています。
二十六夜山から戸沢までは、びっくりするくらいの急な下り道です。
何処まで降るのだろうと思っていたら、矢多沢の源頭まで降りきってしまいました。推定ですが標高差800mくらいは降ったのでは無いでしょうか。登りよりは下り道の方が楽なのですが、それも程度の問題で、これだけ勾配がきついと仕舞いには膝ががくがく言ってきます。
日が暮れる前に山道を下りきってしまいたかったので駆け下ったのですが、一日の最後の道としては無理があったようです。戸沢の車道に出た時にはぐったりとしてしまいました。
戸沢からは集落内を除くとほぼ2車線の車道で、ところどころ歩道もあります。とぼとぼと富士急の赤坂駅まで歩きます。富士急は便数が疎らなのですが、この日は運良く駅に着いた時にホームに列車が入ってきたので、待たずに乗車できました。