地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
---|---|---|---|
初狩駅 | 08時58分 | ||
檜平 | 12時02分 | 184分 | 3時間4分 |
滝子山 | 13時02分 | 60分 | 1時間 |
大谷ヶ丸 | 14時33分 | 91分 | 1時間31分 |
湯の沢峠 | 17時08分 | 155分 | 2時間35分 |
一日の歩行時間 |
---|
8時間10分 |
日付:2011/10/23 |
初日は初狩駅から湯の沢峠避難小屋まで約8時間ほどを歩けば良いので、出発を遅らせた。大抵、始発か次便で発つのだが、始発に乗ってしまうと午前7時前には歩き出さなければならず、8時間を歩いたとして午後3時頃に湯の沢峠避難小屋に着いてしまう。そんなに早く着くと就眠までの長い夜が退屈となってしまう。
そのような訳で、初狩駅に降りたのは午前9時前となった。
天候は朝から曇りで、日没に湯の沢峠に着くまで晴れることはなかった。気温はとても高く、朝の初狩駅で10℃を越え、山頂や稜線を歩いている時でも10℃を下回ることはなかった。
初狩駅を降りると、「滝子山」と書かれた小さな標識が露地の方角を指している。
露地脇の民家に古い建物はなく現代的なのだが、馬頭観音らしい石仏がまつられていたりしていて、風情を感じられる。
山旅を始める時、駅やバス停を降りた時に見る、街や村に風情があるかどうかはその後の旅の印象を左右することがあるので、こうした雰囲気のよい露地を通って登山口に行けるのは良いことだ。
露地を歩いている時に、すれ違った住人が朝の挨拶をしてくれるのも感じがよい。
国道20を横切り北に歩く道は、しばらくは舗装路だ。
細流が造った谷間の集落の中を登ってゆく。
集落には、かつて棚田だったものが休耕田となっていて、雑草が茂っている。水田は、一年耕作をやめると元の様に実りのある水田に戻すのに数年かかると聞いているが、ここまで荒れてしまうと、元通りに戻すのは大変だろうと想像が出来る。
棚田は、ここ数年、景観や保水の役割が見直されてきて保存の動きが出ているが、そうした動きが出る前の長い年月、棚田は非効率な農業の象徴とされて、国の機関の林野庁が率先して、棚田をこぼって杉の木を植える作業をせっせと行っていたこともある。
農家の古民家は、たとえ屋根がトタン葺きとなっていても、街中の住宅に比べればずいぶんと美しいものだ。この集落でも二軒、見ることが出来た。
農家の作りは東北や北陸、北関東の農家の作りとは異なっていて、初めて見るものだ。一回の床面積がたっぷりと取られていて、総二階に近い床面積を二階に取られている。といって、木曽谷や飛騨で見かける総二階で屋根の勾配の緩やかな民家とはまったく異なった作りだ。東北や北関東で見られる鈩の煙を排出する屋根の上の構造物はない。
集落を過ぎると道を右に曲がる箇所がある。登山口と書かれている。
分岐から沢渡の箇所までは未舗装の車道となっている。
この分岐の手前100mの所にも分岐があり大変に紛らわしい。この紛らわしい分岐には周辺の地図が大きく書かれている。
登山口から桧平までは荒れた沢沿いの道だ。
前日まで雨天だったが、沢はほとんど増水はしていないので、大雨の後でもない限り、増水の心配はない沢の様だが、幾度も渡渉を繰り返す。
石や岩の上を歩くのだが、滑りやすいので注意が必要だ。
ペンキのマーキングも点々としていて数は多くないので道に迷いそうだが、沢には合流する支流もなく、一筋に上から下へと流れているので、道を間違う心配はない。
途中で沢から離れて高巻き道を歩くが、滝を見下ろしながら歩いていると、また沢沿いの道になる。
沢は「最後の水場」と書かれた分岐を最後に離れる。
ここから稜線の上に出て、稜線歩きとなる。
稜線の上の道はだらだらとした登り坂で、稜線はやや幅が広い。闊葉樹が茂っている。
滝子山の直下は急登坂で、少しあえぐが、距離が短いのでそれほど苦しい区間ではない。
山頂からは北西、西、南西の方角に眺望が開けているが、この日はあいにくの曇天で、富士山の頂がわずかに見られただけだった。
目を東の方角に転じると、疎林の上に雁ヶ腹摺山とその稜線が見られる。
それ以外の風景は、雲が隠しているのか、もともと見えないのか分からない。
滝子山のすぐ下に鎮西ヶ池がある。池と言うよりも水たまりといった方が適切なイメージの小さなもので、流れはなく、飲めそうもない。この池は、保元の乱で精兵(強弓を引く武者のこと)として剛勇を謳われた(保元物語の主人公の)鎮西八郎源為朝の妻に由来する伝説があるので、鎮西ヶ池と呼ばれているそうだ。
池の横に小さな社が建っている。
戦前までは、鎮西と言えば九州の別称で特に説明は不要だった。
また、鎮西と言うだけで絵巻物語りから抜け出てきた源為朝を思い浮かべたはずだ。
ところが戦後、鎮西町と言う名称の地方自治体が生まれ、名称に混乱をきたしている。
平成の市町村大合併では栃木県全域を表す呼称の下野市や山梨県全域を表す呼称の甲州市が生まれているが、こうして安直な名称を、地方自治体と言う公的な機関に使うのは日本語の乱れとなるのでやめて貰いたい。
鎮西ヶ池の先に進むと三叉路の分岐があるが、標識は「初狩駅へ」と「笹子駅へ」の二つしかなく、大谷ヶ丸から湯の沢峠の方角を示す標識がない。
最初、笹子駅への道を降ったところに分岐があるのかと思ったのだが、この分岐をよく見ていると踏み跡が北の方角に延びている。その方角を指して標識の柱にマジックで小さく「湯の沢峠へ」と書かれていた。
鞍部に少しだけ降ってから登り直すと、すぐに大谷ヶ丸の頂に着いた。
樹木に覆われた頂で眺望は得られない。紅葉の葉は、だいぶ落ちていて、木立を透かして周囲の山がうっすらと見えていた。
大谷ヶ丸から米背負峠、ハマイバ丸まで稜線の上を少し登っては少し下る楽な道が続いている。
全体は樹林に覆われた稜線だが、ところどころススキが生えていて空が見える。そんな箇所からは周囲の山々も見えるのだが、期待をしていた紅葉はもう終わってしまった様で、山には枯木が目立っていた。多少の景観の変化はあるかも知れないが単調な道なので、曇天と言うこともあって、歩いていると飽きてくる。
大蔵丸は岩が多く見られる山頂で、樹木がない。稜線上から眺望が得られる場所なのでが、深い雲でとなりの山も見えない。
山頂は散策路が設けられていて、頂から三筋ほどの道が延びていた。
大蔵丸を過ぎると、いかにも峠という地形が遠望できる。鞍部の湯の沢峠はここからは見えない。それなりの標高差があることが分かる。
見晴らしの良い斜面の道を降ってゆくと、前方に人が歩いているのが見える。
避難小屋は峠のトイレ・駐車場の横にある。
思っていたよりも良い小舎で、屋内には布団や毛布も用意されていた。ただ、どの様に管理されているのか分からないし誰が使ったのかも分からない寝具だったので、持参したシュラフを利用した。
水場は小舎から下に2分ほど降った所にあるが、道は笹藪に半場隠されているので、日没後に暗くなってヘッドライトを頼りの歩くのはきつそうだ。
水場は沢で、味は良い。沢の周りはヌタヌタで足を踏み入れると踝まで沈んでしまった。