地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
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上高地バスターミナル | 10時57分 | ||
明神橋 | 12時01分 | 64分 | 1時間4分 |
徳沢 | 12時54分 | 53分 | 53分 |
長塀山 | 16時05分 | 191分 | 3時間11分 |
蝶ヶ岳 | 16時53分 | 48分 | 48分 |
一日の歩行時間 |
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5時間56分 |
日付:2012/08/31 |
これまで松本駅までは特急を利用していたのですが、普通電車の始発の方が到着が早いという事を知って、普通電車で移動をしました。大月、甲府と乗り換えが多いので不便ですが、早く着くというのは山の旅には魅力的です。
特急の始発を利用すると松本駅に着くのが9時過ぎとなるので、松本電鉄とバスの便を乗り継いで上高地までかかる時間を考慮すると、初日に蝶ヶ岳まで登るのには無理が出てきます。
わたしの脚力でも日没前後の到着になるでしょう。
初めての上高地でしたが、人の多いのに驚かされます。
梓川の景観が良いというので北岸の遊歩道を歩いたのですが、すれ違うハイカーの多いこと。そのほとんどの人が「こんにちは」と声をかけてくれます。見ているとハイカー同士では声を掛け合っていない様なので、わたしの登山の格好を見て声をかけているみたいです。登山者なら声をかければ必ず返事があると言うことなのでしょう。
河童橋の周りには多くの観光客がたむろしています。
どこに出もある様な吊り橋なのですが、上高地の河童橋と言うことで観光の名所になっているので、見て渡らなければならないのでしょう。
河童橋を北岸に渡るとまばらな樹林に入ります。
下草の丈が低く、樹林の中の見通しがとても良く、しかも日差しが適度に入ってくる明るさを持っているので、すばらしく快適な林となっています。上高地のハイキングの魅力は、この樹林を歩くことにあると言っても良いでしょう。
逆に、梓川は、前半はよく見えません。梓川に注ぐ支流の沢が白いしぶきを上げて流れ落ちて行く上の橋を渡りながら先に進みます。
河童橋と明神橋の中程から梓川が右手に見えてきますが、明治時代の終わりの頃から現代に至るまで「梓川」と称えられている川ですが、わたしの印象はぱっとしません。やはり雲が穂高連峰を始め周囲の山岳景観を全て覆い尽くしていたからでしょう。梓川は山の借景が無ければ只の沢です。
明神橋で対岸に渡り、梓川の南岸を歩くのですが、こちら側は未舗装の車道でした。
途中に点在するホテルや山荘に食料などを運ぶためのものでしょう。車が使えるから相当に便利だと思うのですが、売られているビールやジュース類の一部は穂高山荘や常念小屋辺りと同じかかくだったのには驚かされました。観光地相場というものでしょう。
明神橋から先は登山者の世界と思っていたのですが、徳沢まで歩いていて、多くのハイカーに追い越されました。何が目的で、こんばんどこに泊まるのかは分かりませんが、ガイドに案内された10名を超えるグループがいくつも歩いていたりします。
2名、3名の小グループもたくさん歩いています。
徳沢のキャンプ場には、すでに先着した登山者らしい人々がテントの設営に取りかかっています。今日は徳沢までと言うことでしょう。時間はまだ午後1時前なので、長い午後をどの様に過ごすのか興味のあるところです。
長塀と書いて「ながかべ」と読ませる意味は分かりません。塀は「へい」と音読するのみの漢字で訓読の読み方がありません。当て字でしょう。
徳沢で小休止をしてから、長塀の尾根道にかかります。徳沢の入り口が大変に分かりづらくなっています。山荘の建物の脇に小径が付いています。
登り始めるとこれが急斜面にジグザグに切られた急登の道でした。まだ標高が低く、気温が高いので汗をたっぷりとかかされます。曇っているので気温が上がらないことと日が差さないことで、何とか歩けると言った道です。
昼過ぎなので、蝶ヶ岳から降りてくる登山者と多くすれ違うと思っていたのですが、そうはならずに2組5、6名の登山者と入り口付近ですれ違ったきりで、後は人の姿は蝶ヶ岳小屋まで見かけませんでした。
道を上って行くと、尾根の上の小さな突起に長塀山と名前が付けられている箇所にでます。
このピークまでが上り坂で、ピークを越えると蝶ヶ岳まではわずかに登り下りをするだけの稜線歩きとなります。
長塀山のある稜線は水が溜まりやすいのか、湿地が多く見られ、いくつかは水をたたえた池となっていました。オタマジャクシが泳いでいる様な池なのでそのままでは飲めませんが、携帯浄水器を持っていれば飲むことが出来ます。
樹林帯を抜けハイマツ帯にはいるころに、やや遠いところで鳴る雷鳴が聞こえました。
雷というのは、登山の場合、音が聞こえれば、たとえ遠雷でも、次に鳴るときには頭上で鳴る場合もあるので、森林限界を越えた稜線歩きをしている場合には、早急に避難しなければならない恐ろしいものです。
樹林帯を抜けていたので、歩く足を速めます。
そのうち、雨が降り出してきました。
パラパラと言った感じの小雨だったのですが、夕立になることは明白だったので、雨具を身につけてから、再び歩き出します。実際には、蝶ヶ岳小屋まで5分か10分くらいのところで雨が降り出したので、雨具を身につける時間の間に歩いていれば小屋にたどり着けた可能性もあるのですが、この後の豪雨を考えると、雨具を身につけたのは正解だったでしょう。
雨脚が速くなり、雷が頭上でも鳴り出してきた頃に、蝶ヶ岳の山頂が現れ、次いでテント場に張られた赤や緑のテントが見えました。
蝶ヶ岳小屋はこの先です。
小屋の入り口は北向きなので、南の長塀尾根から登ってくると、ぐるっと廻らなければ鳴りません。このわずかな時間に雨が豪雨に変わりました。1時間35mm以上の降水は確実で、おそらく50mmを越えていたでしょう。これほど激しい雨に降られるのは久しぶりです。
山小屋でテント泊の受付を済ませましたが、夕立の降りがすさまじいので、山小屋の了解を得て、玄関にあるベンチとテーブルで雨脚が収まるまで休ませて貰うことにしました。
しばらくすると7、8名の学生のグループが土砂降りの中をやってきました。さすがに勇敢なものだと感心してみていると、様子が変です。
話を聞くと、蝶槍で体調の悪くなった仲間一人と介護の人数二人の計三人が別行動をとっていると言うことです。分かれた三人を心配しています。
蝶槍から蝶ヶ岳ヒュッテまでは、方向を見失う様な悪い箇所は無いはずですが、この豪雨です。迎えに行きたそうに見えたのですが、二重遭難の心配もあって、日没まではまだ時間があるから、待った方が良いと提案をしました。
雨は日没頃には上がりましたが、こんどはひどい霧です。
雨が上がっている間にテント場でテントを張ったのですが、テント場から振り返って山小屋を見ると、見えません。少し歩いて漸く窓から漏れてくる電灯の明かりが霧をすかして見える程度です。
視界は10mもなさそうです。
この霧の中を歩けば、二重遭難の危険はさらに増すので、迎えに行くことを断念したようです。別れた三人がビバークをしてくれれば無事の可能性が高いのですが、無理をしてでも山小屋まで歩こうとしていたらと考えると落ち着きません。
と言って、何も出来ないので、もどかしい限りです。