高尾から稜線を歩かずに、小仏峠と明王峠を越えて陣馬山まで歩きました。
人の世の中の移り変わりというのは面白いもので、大正時代、戦前の昭和時代にはひなびた峠の代名詞となった奥多摩、奥秩父の峠が、平成の現代ではむしろ多くのハイカーや登山者に歩かれていて、俗っぽい雰囲気となっています。しかも、往古以来の峠で越えられなくなってしまった道の方が多いくらいで、峠とは名ばかりの稜線上の単なる鞍部となってしまった峠もあります。
甲州と秩父を結んでいた3つの峠の内、今でも越えられるのは雁坂峠だけで、雁峠と将監峠は甲州から登ってくる道があるだけで、秩父からの道は無くなっています。
奥秩父の峠で往古の雰囲気を残しているのは、梓山と秩父を結ぶ十文字峠くらいでしょうか。
小仏城山に登るコースはハイカーに人気の高いコースで、高尾駅発小仏峠バス停行きのバスは、2台で運行していますが早朝の便は2台とも満車です。
それほど人気の峠道ですが、ハイカーの歩くのは小仏バス停から峠までの区間だけの様で、峠から西の相模湖に下る道を歩くハイカーは僅かしかいません。
近藤勇が甲陽鎮撫隊の隊長としてこの峠を往復した頃と、雰囲気はそれほどの違いが無いのではないかと思ってしまうほどです。
明王峠の入口は慈眼寺という古刹にあります。宗派は真言宗で、山号を金峰山と言います。慈眼寺というと越後小千谷の官軍と長岡藩の間で行われた「小千谷談判」の慈眼寺が著名ですが、寺名を調べてみると、日本中に同名のお寺がありました。
山号の金峰山も奥秩父山脈の高峰として岳人には著名ですが、修験道の本山の大峰山にも同名の山があります。
この明王峠の道は、古来から着けられていた道なのかは、判然としません。
慈眼寺を過ぎるとすぐに与瀬神社が有り、境内を通り過ぎると登山道となるのですが、驚くほどの急峻な坂道です。これほどの急勾配の尾根に生活道路が着けられていたとは思いにくいです。杣道程度はあったのかもしれません。
相模湖駅から明王峠までの道は、勾配が急で距離、標高差ともこの辺りの道の中では大きい方なので、登りに利用する人は少ないようです。
しかし、陣馬山を経由して直接相模湖駅にアプローチできる道と言うことで、下りに利用する人はとても多くいます。
関連する山行記
最新の山行記