地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
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弥平四郎 | 16時46分 | ||
弥平四郎登山口 | 17時42分 | 56分 | 56分 |
祓川山荘 | 17時55分 | 13分 | 13分 |
一日の歩行時間 |
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1時間9分 |
日付:2013/08/11 |
弥平四郎のバス停は元の小学校の跡地にあった。校庭がバスの回転場所となっている。
舗装路が北に延びていて、この道を歩いて行くとやがてダートとなる。小学校のすぐ北に大阪屋旅館があった。泊まり客がいるらしい。
日没前の時刻のためか、林道を歩いているとブヨがわんさと飛び交ってくる。
歩いている足や、振っている腕にブヨが頻繁にぶつかってくる。ブヨは希に腕や足に止まって噛むのだが、これが結構痛い。たまらず虫除けスプレーを腕や足、頸筋に吹きかけるのだが殆ど効果は無かった。幸いだったのは、このブヨに噛まれた箇所が腫れ上がったり痒みや痛みが出たりしなかったことだ。
林道は緩やかな登りとなっていて、結構長い。
路面はやや荒れているが、交通量は多そうだ。そう思っていると、上流の方から4WDや乗用車がぽつぽつ下ってくる。下山をした登山者の車らしい。
林道の行止箇所の手前、左側の祓川登山口と書かれた大きな看板が立っていて、これが登山道の入り口となっていた。歩いていれば見落とすことの無い大きさなのだが、未舗装の林道を走ることに神経を取られているドライバーは見落とすこともあるらしい。翌日だが、祓川登山口が見つからず、巻岩山を経由する登山道を上ってきたという登山者と出会った。
祓川登山口から祓川小屋までは山と高原の地図ではすぐの距離に書いてあるのだが、実際には河原に降りて、踏み跡すら無い河原歩きをしなければならない。この河原歩きの道は、先月7/18、19両日の雨で道が流されて分かりにくくなってしまったらしい。
岩や樹木に黄色やピンクのペンキを塗ったりテープを巻いたりするマーキングも無く、ちょっと油断をすると道を見失いそうだった。
河原から登山道に登り始めると、降りてくる登山者と多くすれ違う。
日没前に入山をしているので不思議に思えるらしく、皆が声をかけてくれる。「祓川小屋に泊まるのです」と答えると安心するらしい。そのなかに、「あの小屋に泊まるのですか」と、相当にボロボロの小屋という意味の言葉を発する人がいたので、祓川小屋とはそんなに朽ちている小屋なのかと心配になってしまった。
わたしは、今までで見た中の最も朽ちた山小屋を思い出して祓川小屋と結びつけた。屋根に穴が開き、壁は半ば崩れ落ちた山小屋で、首都圏の山小屋では雲取ヒュッテがイメージが近い。
そのような小屋でも水場はある様なので、小屋の周りの空き地にテントを張れば良いだろうと高をくくった。
実際の祓川小屋はなかなか立派な避難小屋で、トイレが屋内に有り、水もこんこんと湧き出ていた。屋久島の新高松小屋には負けるが、高松小屋よりは立派だろう。
祓川小屋には、先着のグループが2組いた。3人と2人の計5名だ。一組は地元の福島県の登山者で、一組は東京から来たらしい。
2組とも翌日は飯豊山まで登り、本山小屋に宿泊、翌々日の下山の計画だという。
わたしが飯豊山は二度目で、初回は飯豊山荘から入山をして大グラ尾根を往復した事を話すと、“健脚”だと驚いたらしい。確かに大グラ尾根は長い道で、7月の日の長い時期の登山にもかかわらず、下山時には日が暮れていた記憶がある。
2組とも大変に賑やかで陽気なグループだったので、話をしていてこちらの気持ちまで明るく楽しいものになった。
祓川小屋は二階建ての建物だったので、一階は2組のグループにまかせ、わたしは広い二階を独り占めして寝ることとした。