雨飾高原から入山をして雨飾山に登り、金山を経て、焼山、火打山、妙高山の頸城三山を1泊2日で縦走した山旅の記録です。
この登山は、8月上旬に燕温泉を起点に雨飾高原までを歩く計画を立て、新幹線の指定席まで予約を入れておいたが、出発の当日に体調を崩してしまいキャンセルをした経緯がある。
登山計画を立てるのに、燕温泉から雨飾高原までを1泊2日で歩くことは体力、技術共に問題は無いと考えられるのだが、問題なのは登山口までの移動と、下山後の移動の時間と手段だった。
当初の計画では、始発の長野新幹線に乗れば、昼前に関山駅に着き、これも昼前のバスで燕温泉まで行けるから、その日の日没前に高谷池ヒュッテまで登れるはずだった。
ただ、この計画では、下山後に雨飾高原キャンプ場で一泊テント泊を経なければならず、これが無駄だったが、やむを得ないと思っていた。
今回、計画を立て直し、まず白山を縦走してから、白山の下山後に空き時間を利用して南小谷まで移動し、その日のうちに雨飾高原キャンプ場までバスで移動をすれば、翌日、丸一日、登山に使える様になる。
雨飾高原から高谷池ヒュッテまで距離が有り時間がかかると言っても、日の出前に出発できれば日のある内に着くはずなので、距離と時間の問題は解決される。
二日目の日程も、高谷池ヒュッテから妙高山を経て燕温泉に降るだけなので、午前中に済ますことが出来る。それならば、下山後に信越線の電車に乗って帰宅することも可能だ。
こうした判断から、まず雨飾山・妙高山縦走の山旅を計画し、その調整のために前日まで3泊4日の白山登山の計画を挿入した。白山登山も雨飾山・妙高山縦走も毎日12時間以上を歩くので、ややハードな山旅が予想されたが、この程度なら体力的には問題ないことは分かっていた。
登山を始めた当初は、名山とは何かを知るためもあり、日本百名山にこだわって登っていた。北海道や東北、関西、四国、中国、九州などの西日本の山を集中的に先に登っていたおかげも有り、頂を踏んだ百名山はこのときまでに98座となっていた。
残っていたのは火打山と妙高山だが、この二座には雨飾山から金山を経て縦走路が開かれていることを昨年(2012年)に知ってから、幾度か縦走する登山の計画は立てていたが、距離が長いので、日の長い6月から8月中で無いと実施は無理だったので後回しとなっていた。
今回の山旅で火打山、妙高山の頂を踏んだので、日本百名山の全ての頂に登ったことになる。
もし、日本百名山にこだわるのであれば、火打山、妙高山は、登山そのものは容易な山だったので昨年中に登れただろうが、そうした登山に魅力を感じなくなってから久しい。