前日に祖母山に登り、下山後に薩摩半島の南東端の指宿まで移動しました。祖母山の登山口から高速道路に出るまでが狭く曲がりくねった山道で、時間の経過の割に距離を稼げないのに参りました。11月下旬の日は短く、高速道路に乗る頃には暗くなっていました。
指宿に着いたのは夜もだいぶ更けてからで、楽しみにしていた砂湯はもうしまっていました。
翌早朝、指宿から高速船トッピーに乗って屋久島へ渡ります。
高速船の出船時間は意外に遅く、午前8時半でした。高速船の出向先は鹿児島港ですが、始発の便は指宿に寄港するので、屋久島から戻った後に開聞岳に登る都合を考えると、指宿から乗船した方が都合が良いわけです。
高速船の出港まで時間があるので、指宿港の待合所で屋久島のタクシー会社の電話番号を教えてもらい、宮之浦港に入港する時刻に迎えに来てくれるように頼みました。
鹿児島-屋久島の片道料金6200円、往復割引11000円。
指宿-屋久島の片道料金6000円、往復割引10800円。
離島に渡るのには、フェリーと客船があります。今回利用したトッピーは客船になります。
どこが違うかというと、フェリーは車やオートバイなども乗船できる船で、客船は人のみが乗船できる船です。
蛇足ですが、自転車を運ぶときも通常はフェリーに乗船となります。トッピーなどの高速船の方が移動時間が短いから自転車も乗せたいという場合には、折りたたみ自転車を折りたたんで輪行袋に入れるか、MTBやロードレーサーなら分解して輪行袋に入れる必要があります。
乗船すると、客室の入口に手荷物を置きます。座席からはやや離れています。
トッピーは快適な客室を持っています。
左右に3列ずつのシートが中央の通路を挟んで並んでいます。シートの質は一般的な高速バスと同等のもので、悪くない座り心地でした。
トッピーの推進はジェットフォイルと呼ばれるもので、船舶やプレジャーボートでおなじみのスクリューは着いていません。
船の形態は水中翼船です。大変に速度の速い船で、時速40kn/h(74km/h)以上の速度がでるそうです。
指宿港を出港をしてしばらくすると、右舷に開聞岳が現れます。行くときは開聞岳に見送られ、帰るときは出迎えられます。
座席には広い窓が取られていて、海上の景観がよく見えます。
しばらく海原だけを眺めた後、種子島が右舷に現れます。
屋久島の宮之浦港の入港時刻は9時45分でした。8時30分に出港をしているので、1時間15分かかった事になります。
あらかじめ連絡をしておいたタクシーが、出迎えに来てくれていました。
宮之浦港から白谷雲水峡の登山口まで、30分ほどでしょうか。料金は3000円前後でした。
着くまでのあいだ、屋久島の歴史や地理を話してくれました。
江戸時代の島津藩の頃は、屋久杉を切るのはもちろん、山全体を村の人が共有して利用していたのが、明治の地租改正で土地を所有しているだけで金銭による租税を払わなければならなくなったので、誰も所有を主張することなく、屋久島の大半が国有地となったという経過を聞きました。
また、屋久島の杉の枝は油分を多量に含んでいるので、他所の杉の枝よりも良く燃えるから、一枝持ち帰って燃え方を試すとよい、と言うことも聞きました。
タクシーで白谷まで運ばれ、そこから登山にかかりました。
屋久島は全山が山の島です。これは宮之浦の港に着くとわかります。海っぺりに人が住んでいるだけで、一歩島の中に足を踏み入れると、人の居住に適していません。それでも森林産業が盛んな頃は山の中に村があったそうです。
林業も鉱業と同じで、農業や工業の様に特定の場所に居住すると言うことは無いようで、住む場所のはやり廃りの激しい産業のようです。
白谷から縄文杉までは、登山者にとっては比較的楽な道なのですが、歩いている人のほとんどは観光客なので、装備はツアーガイドでも見てそろえたのかそれっぽく見えますが、歩き方やザックの背負い方など一目で素人と言うことがわかります。
人が歩いているのは白谷の辻峠から森林鉄道跡の遊歩道にかけてです。森林鉄道跡の突き当たりが宮之浦岳の登山道の入り口で、縄文杉までの道の入り口でもあります。
この辺りまでがハイキングの世界です。
初日は白谷雲水峡から新高塚小屋までを歩き、翌日は宮之浦岳から黒味岳を往復して、高松小屋に泊まりました。