地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
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小淵沢駅 | 08時22分 | ||
富士見平 | 11時16分 | 174分 | 2時間54分 |
押手川 | 13時32分 | 136分 | 2時間16分 |
編笠山 | 15時09分 | 97分 | 1時間37分 |
青年小屋 | 15時49分 | 40分 | 40分 |
一日の歩行時間 |
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7時間27分 |
日付:2011/06/30 |
中央本線の二番列車に乗って小淵沢駅に降りました。
八ヶ岳の玄関口の駅という印象を持っていたのですがそうではなさそうで、ザックを背負って降りたのはわたし一人でした。登山シーズン前の平日と言うこともあったかも知れませんが、甲府駅や茅ヶ崎駅、松本駅とはずいぶんと違った風景です。
小淵沢駅から八ヶ岳縦走の入口となる富士見平や観音平までは、公共の交通機関はありません。車で行くとするとタクシーを雇う様です。
初日は乙女平の青年小屋までと決めておいたのでタクシーに乗る必要はなく、駅から歩き始めました。
6月末日の小淵沢駅は思っていたよりも暑く、まだ8時過ぎというのに歩き始めるとすぐに汗が出てきます。早朝5時の八王子と同じ26℃でした。
中央本線の下をくぐり、中央高速道路の下をくぐると正面に八ヶ岳の南端の編笠山や権現岳が見えてきます。今回の山旅で数少なく見えた山岳風景でした。山に雲はかかっていますが青空が広がっていて、この後、雨に降られるとは思いも寄りませんでした。
さすがに観光業の盛んな八ヶ岳と思えるのは、別荘と思われる建物が多いことと、狭い舗装林道風の道路に瀟洒な喫茶店やレストランがぽつんぽつんと建っているのを見た時です。
地元の人が訪れる様な店には見えないのですが、かといって観光客がこんな細い道まで押しかけると言うこともなさそうです。それでもお客が来店しなければ成り立たない喫茶店やレストランがあるのが八ヶ岳らしいのでしょう。
甲信の両国でよく出会うのが武田信玄由来のの伝承ですが、八ヶ岳山麓には伝承ではなく、考古学的に発掘されたらしい、武田軍の軍用道路が信玄棒道と言う名で保存されています。
甲斐国の国主の武田氏は信玄の父の信虎の代から信州を攻略していましたが、信玄の代になって諏訪地方、伊那谷、佐久平などを支配下に置くことが出来ました。
そこで、武田家の本拠地の甲州から信州に迅速に軍隊を派遣するための道が必要となったのですが、武田信玄のユニークな点は八ヶ岳の起伏の多い山麓に直線的な道路を敷設したことにあります。山を削り谷を埋めて造った信玄棒道は、近世、近代を通り越して現代の道路の建設に似通っています。最小の時間で目的地に着くというためには、道は直線的になるのでしょう。
長い車道歩きを終えて、富士見平から編笠山に取りかかります。思ったよりも急な坂道で、数カ所わずかな平らがあるだけで頂上まで坂が続きます。
曇り天気となり眺望は皆無で、わずかにヤマツツジの代赭色の花が慰めとなります。
押手川で休憩を取っていると雨が降り出し、これが雷を伴って降りが激しくなってきました。
通り雨なので小一時間で止みましたが、今回の山旅の前途を暗示する雨でした。
山頂に着くと八ヶ岳の方角は厚い雲がかかっていましたが、小淵沢の駅がある盆地は青空が広がっていて多少の眺望がありましたが、その向こうにある南アルプスは雲に隠れています。
山頂を後にして乙女平に降ると、青年小屋の手前に1m以上もある大きな石が敷き詰められた様に置かれている一帯があり、小屋が見えていて気が抜けていたのでかったるく感じます。
青年小屋の管理人はなかなか人好きのする方で、八ヶ岳の地理や歴史について色々と話をしてくれました。一晩話が出来れば相当に八ヶ岳に詳しくなれそうなのですが、残念にもテント泊なので日没前にテントに潜り込みました。
夜に強風が吹き翌日の天候を危ぶませてくれました。