地名 | 到達時刻 | 所要時間 | |
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双子池テント場 | 05時44分 | ||
双子池ヒュッテ | 05時53分 | 9分 | 9分 |
大河原峠 | 07時03分 | 70分 | 1時間10分 |
将軍平 | 08時44分 | 101分 | 1時間41分 |
蓼科山 | 09時23分 | 39分 | 39分 |
女乃神茶屋 | 11時47分 | 144分 | 2時間24分 |
親湯 | 13時00分 | 73分 | 1時間13分 |
プール平バス停 | 13時18分 | 18分 | 18分 |
一日の歩行時間 |
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7時間34分 |
日付:2011/07/03 |
山旅をしていると、徐々に起床時間が早くなって行きます。
この日は最終日で、最も行程の楽な日なのですが、一番の早起きとなりました。今回の山旅で5時台に出発をしたのはこの日だけです。出来れば昨日、5時台に出発できていれば時間的に余裕を持って歩けたのにと思いますが、まぁこの様なものでしょう。
双子池から双子山を経由して大河原峠に抜けます。
一昨年に北横岳から双子池を経由して蓼科山まで歩いた時は、雨池峠、北横岳、大岳、双子池、将軍平と歩いて蓼科山に登りました。時間的な都合で大河原峠へは行けませんでした。
大河原峠には佐久平の方からオートバイで登って来て通ったことがあります。荒れた舗装路で路面には砂や砂利が積もっていて、滑りやすい危険な道でした。登り口と出口が有料の歩道林道となっていて数百円を支払ったことを覚えています。
大河原峠から見たのかその前後の道で見たのか記憶が曖昧なのですが、山の頂上付近にビルが数棟建ち並んでいて、ひどく現実離れのした景観があったことも記憶に残っています。
双子池から双子山までの道は笹に覆い隠されていて、道を見失いそうな箇所があります。この季節はまだ刈り払いをしていないようです。
双子山の頂は広い面積で、道を示すロープが張られていなければ、この日の様に霧の深い日などは道を見失うでしょう。
登りは歩き始めなのできつく感じましたが、山頂を過ぎて下り始めるとすぐに大河原峠に出ました。
霧が深いので、峠からの景観はありません。
車でここまで登ってこられるので、登山者が多くいて、みな出発の準備をしています。
大河原峠から蓼科山までの往復なら半日で済むので手軽に登れるのでしょう。
大河原峠からの登り道は急峻で、昨夜の雨で沢の様に水が流れ落ちています。
この頃には靴の防水能力が無くなってしまっていて、足元はずぶ濡れでした。
坂を登り切ると枯木の林で、縞枯山のどことなく似た雰囲気です。
その先が将軍平で山小屋があります。商売熱心な小屋で、建物の前にテントを張って山のグッズを販売しています。
将軍平から山頂までは岩の急坂で、初心者の登山ツアーなどでは、ここですくんでしまう人がいます。以前に通った時がそうで、20名以上の団体のツアーだったのですが、10名位がすくんでいました。ツアーのガイドというのはいい加減なもので、先に将軍平に降りていて、山小屋で休んでいました。すくんでしまった人の横で声でもかけてあげれば良いのにと思います。
山頂からの景観を楽しみにしていたのですが、雲が厚くかかっていて何も見えません。山頂小屋から山頂も見えないくらいです。
山頂は大きな石を平らに敷き詰めた様なところで、直径は数十メートルありそうです。
蓼科山から女乃神茶屋までひたすら急な下り坂が続きます。ほとんど勾配は変わりません。まだ降る方が楽で、こんな道を登るのはごめん被りたいと思わせます。
週末と言うことで、そんな大変な道を沢山の登山者が登って来ます。
まだ午前中で、そんなに早い時間に降ってくる人は珍しいので、すれ違う人のほとんどが決まった質問をします。頂上までの所要時間です。
下りと登りでは、所要時間が大きく異なり、また脚力や背負っている荷物の多寡によっても変わるのですが、上っている時はそうしたことに気が回らないのかも知れません。
面白いのは、全員が自分の希望的な時間を言うことです。
ここから山頂まで30分くらいですか、と聞いている時は、おおよそ60分かかる地点。
ここから山頂まで1時間はかかりませんよね、と聞いている時は、おおよそ2時間かかる地点。
大体、実際にかかる所要時間の半分くらいで聞いてきます。
正直に、60分とか2時間と答えると、相手は大抵はがっくりした表情に変わります。
長い長い坂道を下って県道に出たところが女乃神茶屋です。ドライブインと民宿を兼ねているそうなのですが、今回の山旅では特に様はなく素通りです。
ここに蓼科山登山口バス停があるのですが、数時間待たないとバスが来ないことが分かり、親湯まで歩くことにしました。
親湯に降る道が、途中まで信玄棒道でした。こちらの棒道は小淵沢のとは異なり、整備はほとんどしていない様で、普通の登山道と変わりありません。武田の騎馬軍団の移動には使えそうもなく、往事のよすがもありません。
棒道は途中でなくなり、未舗装の林道に出ます。
この林道がやっかいで、途中で分岐して居るのですが、新湯に行く道は車道としては廃道で道が荒廃しています。歩いていて不安になってくる様な道です。徒歩なので道が廃道となっても歩けるだろうと覚悟を決めないとちょっと先に進めません。
伊藤左千夫の歌碑があるという標識は無視して親湯におります。
山の中の温泉宿とは思えないほどの立派な建物で、玄関脇の駐車場には宿所有の大型バスが駐車していました。
連日、雨に降られていたので、温泉をとも考えたのですが、日帰り入浴を歓迎して居なさそうなのであきらめました。
ここからバス停まではわずかでした。